常識は素晴らしい──(>_<)゛゛゛゛ 香織淳士 2006/05/01(Mon) 22:15 No:19933 ID:ET6WOVLs
> Thinkpadさん。
> > 常識の線は皆が横並びでない事から価値判断は千差万別なのです。
>
> 全くその通りだと思います。 個々人の快、不快含めた感性や価値基準は個人の
> 責任の下で自由で、千差万別です。 しかしながら常識、モラルの核となる、
> 個人を超越したものが厳然として存在するというのも、過去の賢者の書物を
> 引用するまでもないでしょう。
> 何故ならば、例えば常識はまさしく常なる知識であり、英語はCommon Sense、すなわち
> ”共通の感じるところ”なのですから。

 ここだけ特に、突っ込み入れさせて下さい。
 天皇は現人神である、これ、戦前日本のコモンセンスでした。
私の持っている常識と世間の常識がズレまくっていることは山程ありますし、
勿論電車の中でメイクしてる女の子も、自分の常識に従っている訳です。
コンビニの前でウンコ座りしながら、道塞ぎながらダベってる高校生とかも、
勿論自分達の常識に従っているから、
『オイ、止めようぜ、こんな所座ってたら格好悪いし、邪魔やん』と仲間内でならないのでしょう。
つーか、一人の常識に回りの連中が付き合わされている内に、
その内輪の中の常識になっちゃうもんな訳でして‥‥。

 で、『常識』がどうしたんですって?
『共感の感じるところ』がどうしたんですって?

 写真を撮るという行為も世の中も、一人一人の『常識』のぶつかり合いですよ。
あとはその常識がぶつかり合った時に、お互いに『自分の常識』をどこまで押し付け、
押し通そうとするかということにしか過ぎません。
法律は基本的にそのそのぶつかり合いを仲裁する為にありますが、
生憎とその法の精神とは全然関係の無いところに『世間の常識』はあり、
警官を仲裁に呼んだのを後悔したこともあります。
 因みに最近では街中でスナップ写真を撮っている奴は、
こそ泥の下調べか性犯罪者であるといきなり決めつけるのは、
『常識』みたいです(T_T)v-〜。
そんな『常識』に付き従いたいのであれば、あなたはどうぞ──。
私はそんな常識、とっとと改変すべく運動したいものです。
つーか昔は、『そんな常識』、無かったんですけれどもね。
 まあ、チンピラの『ヤクザに襲わせる』という言動を警官が容認するのは、
昔からなのかもしれませんが(の_の)v-〜。

> 個人を超越したものが厳然として存在するというのも、過去の賢者の書物を
> 引用するまでもないでしょう。

 そいつの面、拝んでみたいものですな(の_の)v-〜。
個人を超越したものをしか根拠に出来ない様な奴、賢者でもなんでもありません。
まあ時代から来る、止むを得ない事情というものはあるもんですが。
 例えば『人権』を神に頼らずに私が再定義してみた文章がありますので、
この辺でも一遍読んで見られては?
http://www.geocities.jp/kaori_atusi/dictionary.htm#jinken
『常識』については残念ながら書いていませんが、
似た様な概念の『普通』についても纏めてあります、
興味がおありでしたらご一読を(笑)。
http://www.geocities.jp/kaori_atusi/dictionary.htm#hutuu

 とまあ、恐いものを根拠に書かれてらしたのが気になっただけですので、
そのことそのものに対する反論でしかないので、
あんまり細かいことは気にしないで下さい(^-^;)>゛゛゛゛。
ただ、『常識』を根拠にする程、恐いことは無いなーということで。
 例えば東京都の教育委員会の常識が日本に普及したら、
これはもう戦前の日本と変わりなくなっちゃいますから。
そんな適当で浮薄なものを根拠に思想と思考が統制されちゃったら、
私は堪らないと思うので書き込んでしまいました──m(_ _)m。
Re: 常識は素晴らしい──(>_<)゛゛゛゛ prius 2006/05/02(Tue) 06:17 No:19958 ID:qfDxjdxs
香織さんへ

あなたのような思想(?)は、いわゆる唯我論の変形のようで、
結局は自分の考えが世の中の常識になればハッピーというお考えなのでしょうか?
だとするならば、ややお考えが非論理的であって、自分の思考を鍛えるためにも
過去の哲学者の研究を読むのをお勧めします。
特にウィトゲンシュタインがお勧めです。
過去の賢者は、間違いを犯さないのか──(?_?)? 香織淳士 2006/05/02(Tue) 22:19 No:19999 ID:ET6WOVLs
 >>19958
> 香織さんへ
>
> あなたのような思想(?)は、いわゆる唯我論の変形のようで、
> 結局は自分の考えが世の中の常識になればハッピーというお考えなのでしょうか?
> だとするならば、ややお考えが非論理的であって、自分の思考を鍛えるためにも
> 過去の哲学者の研究を読むのをお勧めします。
> 特にウィトゲンシュタインがお勧めです。

 私が書いたのは、
priusさんが普遍的で絶対的な価値観というものの存在を前提として、
何かを証明出来るとお考えの様だったので、
そんなものは無いと照明しただけです。
どこにも唯我論なんて書いてません。
 私の常識と他の人の常識は違う。
でも、あなたは誰にも通用する常識の存在を信じてらっしゃる。
そんなことはあり得ない、そういう文脈の文章です。
常識の核が一つであるならば、そこから生まれ出る常識も、
一つでしかあり得ないでしょう?
 出来ればpriusさんには、絶対普遍の常識を一つ挙げて頂きたい。
個人的に一番普遍性が高いと思われる『生存本能』の存在ですら、
状況次第で簡単に崩れさってしまいます。
世の中にはマザーファッカーだって存在しますし、尊属殺人も子殺しも存在します。
『個人を超越したもの』の根拠が『過去の賢者の書物を引用』でしか無いとしたら、
その根拠はティッシュペーパーよりも薄っぺらですよと、
まあそういうお話ですね。
 同じ理由から、ウィトゲンシュタインなる人物の書物をお勧めされても、
何の意味もありません。
あなたが、あなたの言葉で証明して下さらないと。
ウィトゲンシュタインとやらの言葉を理解しているのであれば、
priusさんにはそれが可能な筈でしょう?

 要は、過去の権威に則って思考を成立させるのではなく、
priusさんご自身の頭の中で、
思考を一から組み立ててみて下さいと言いたかったということです。
はっきり言ってあなたの文章の立脚点は、
『神様の言葉』と変わりの無いものを根拠にしていますよと、そういうことです。
 でも神様毎に、真理というものは違うものでしょう?
オームの信者達は、麻原某という彼等にとっては神にも等しい存在の言葉を、
『常識、モラルの核となる、個人を超越したもの』として価値基準を構築していた訳ですから。
前回の書き込みで天皇は現人神であると触れたのも、そういう示唆ですよ。
 私の文章を批判的に読み解こうとされた努力を、
priusさんの信奉される過去の賢者の書物に対しても、適用して頂きたいものです。
Re: 過去の賢者は、間違いを犯さないのか──(?_?)? prius 2006/05/02(Tue) 23:59 No:20006 ID:7agtz5zw
 >>19999
> 香織さんへ
>  出来ればpriusさんには、絶対普遍の常識を一つ挙げて頂きたい。
> 個人的に一番普遍性が高いと思われる『生存本能』の存在ですら、
> 状況次第で簡単に崩れさってしまいます。
> 世の中にはマザーファッカーだって存在しますし、尊属殺人も子殺しも存在します。
> 『個人を超越したもの』の根拠が『過去の賢者の書物を引用』でしか無いとしたら、
> その根拠はティッシュペーパーよりも薄っぺらですよと、
> まあそういうお話ですね。


>  要は、過去の権威に則って思考を成立させるのではなく、
> priusさんご自身の頭の中で、
> 思考を一から組み立ててみて下さいと言いたかったということです。
> はっきり言ってあなたの文章の立脚点は、
> 『神様の言葉』と変わりの無いものを根拠にしていますよと、そういうことです。
>  でも神様毎に、真理というものは違うものでしょう?

 過去の賢者、という言葉に誤解があったかもしれないことをお詫びします。
2000年以上前のソクラテスは、次のように述べています。
「無知の知」
自分は、人間のこと、世界のこと、あるいは自分自身のことすら知らないんだ、
と真に自覚したものこそ賢者である、という意味です。
 この言に代表するように、過去の名前の通った思想家、哲学者達が、何か魔法の
ようにこの世の真理を書き残したかのようなイメージは、全くの誤解です。
 自分達が何者なのか、我々の知性とは何か、我々の思考の限界とは
どこまでなのか、これらももちろん答えてくれていません。
 しかしながら過去の賢者の思考は、我々凡人の出る幕はありません。 そうである、
とは断言しませんが、凡人の及ばぬ精緻な論理的な思考によって、そうではない、
という結論にはいくつも達しています。
これは過去といえるほど昔ではありませんが、20世紀中ごろから後半までの基礎数学、
言語論を広く浅く概観しますと、皆次の命題を証明しようとしているようです。
「我々の知性はアルゴリズム化できない」
すなわちいくらコンピューター学者ががんばっても、人工知性ができて数学や物理
の未知の難しい問題を解いてくれる、というのはSF以下の幻想に過ぎなくなりました。
逆に言えば、我々の思考を説明する言語がない、ということになります。 言語で
表すことができれば、アルゴリズム化可能ですから。
 これをさらにはっきりさせようと苦闘したのがウィトゲンシュタインです(少なく
とも私はそう思っています)。 彼の唯一生前に出版された著作「論理哲学論考」
の結びの言葉が以下の通りです。
「語りえないものは、沈黙しなければならない」
 えっ、何言ってんの?って感じですが、要は語りえないもの、すなわち道徳や諸々
の人間が人間として成立しているものは確かに存在するが、それは言語として表す
ことができない、と言っているのです。 言語で表せば、アルゴリズム化、すなわち
コンピュータにだって解ける問題になってしまいますから。
 このような語りえないものが常識、モラルとして私が書いたものです。
だから香織さんの仰るように、天皇が現人神というのが常識(?)化することも
あるでしょうし、千差万別でしょう。 何しろ人間はこのようにすればモラルを
守ったことになる、という手順を書き下すことができないのですから。
 更に突き詰めれば、自分だけが正しい、自分以外は全て間違いだ、という唯我論
を反駁することができません。 しかし唯我論が間違っているのは誰が考えたって
わかります。 けれども論理的には唯我論を反駁できないのです。
 ならば、唯我ではなく、自分と他人に共通する価値、道徳があるはずです。
それが何かは語りえませんが、存在しなければこの世界そのものが存在しない
筈です。 この世界は唯我論が成立しない世界ですから。
 存在しなければならない共通のものとは何か、あるものはそれを宗教に
求めましたし、だからこそ大概の国の憲法に「信教の自由」とわざわざうたってある
のは、宗教が人間存在の根源を示すと考えている人がいるからです。
 さて、宗教をそのように感じる人がいらっしゃるから、お墓の写真を軽々しく(?)
扱ったと思った人が、ちょっとそれはまずいかも、と思って書き込んだと思います。
私が書き込んだ理由も、以上です。 プライバシー等とは関係ありません。
 ちなみに私はキリスト教の正式な信者ではありませんし、仏教徒でもありません。
しかし無宗教の民族などいなかったこと、昔の人は非科学的で無知だったとはちっとも
思わないどころが、現代人の思考と何も変わらなかっただろうと思っておりますし、
よって昔の人が無知ゆえに神様の存在を信じていたのだ、とは全く思っておりません。
Re: 過去の賢者は、間違いを犯さないのか──(?_?)? ソーネチカ 2006/05/03(Wed) 00:10 No:20007 ID:k9.yu4bI
 >>20006
この方にいきなりウィトゲンシュタインといっても歯がたつわけがない。
とりあえず『罪と罰』でも読んでいただいてはどうだろうか。
Re: 常識は素晴らしい──(>_<)゛゛゛゛ XX 2006/05/02(Tue) 12:56 No:19971 ID:HqHsIoU6
> 私の持っている常識と世間の常識がズレまくっていることは山程ありますし、
> 勿論電車の中でメイクしてる女の子も、自分の常識に従っている訳です。


私の持っている考えと世間の常識がズレまくっていることは山程ありますし、
勿論電車の中でメイクしてる女の子も、自分の考えに従っている訳です

常識の意味が全く分かっていない。
これを無知と言います。
Re: 常識は素晴らしい──(>_<)゛゛゛゛ Sleipnirs 2006/05/02(Tue) 13:14 No:19973 ID:S//9HT.s
 >>19971
> 常識の意味が全く分かっていない。
> これを無知と言います。

常識という言葉も写真という言葉同様漢字の持つ意味とは違うものだとおっしゃりたいだけでは?
全知全能でない限り無知である箇所があるのは必然です。
無知の集団の中で常識が形成されるわけで、常識でなんでも片がつくと考える方がどうかと思いますよとおっしゃりたいのではないでしょうか?
どうも、有り難うございました──m(_ _)m゛゛゛ 香織淳士 2006/05/03(Wed) 21:46 No:20021 ID:AyO3HTrs
 >>20006
priusさんへ

 どうも、私の不躾な突っ込みに、
ご丁寧にお応え頂き、感謝の気持ちで一杯ですm(_ _)m゛゛゛。
 まあ、

>  このような語りえないものが常識、モラルとして私が書いたものです。

とか枢要な部分で私個人は意見の一致を見なかったりもするのですが、
少なくともこれだけの思索の結果として、
絶対的な常識の核の様なものがあると信じてらっしゃるんであれば、
その様なものの見方も有りだよなとは、私も思ってしまいました(^-^;)>゛゛゛゛。

> 「語りえないものは、沈黙しなければならない」

は個人的に、単純に『どうしようも無いなら黙ってろ、
結論出たら話してくれや』と取った方が良さそうな気もしますが、
その前の文章をきちんと読み解かれてらっしゃるpriusさんの方が、
原文作者の意志を正しく読み解かれてらっしゃるのかもしれません。
 まあここは一つ、『自分と他人に共通する価値、道徳』の存在に対して、
疑義を抱く人も居るんだなー位に捉えておいて頂けましたらとm(_ _)m。

 ところでpriusさんがこの様な思索そのものに対して、
強い関心を抱いてらっしゃる様なので、
一つ気になった思考の論点を提示しておきたいと思います。
別にここでこの件に関して喧々囂々しても場違いですので、ただの論点の提示ですが、

>それが何かは語りえませんが、存在しなければこの世界そのものが存在しない
筈です。 この世界は唯我論が成立しない世界ですから。

 二つ疑問があります。
一つは、私も別に唯我論とやらを推進する気はありませんが、
唯我論が論理的に反駁出来ないのであるとすれば、ひょっとすると唯我論は正しいのかもしれない。
もう一つは、個人的にこちらはありそうだと思うのですが、
『それが何かは語りえませんが、存在しなければこの世界そのものが存在しない』が、
間違っているのかもしれない。
 一応、科学的な考え方をそのまま素直に適用してしまうと、
1つめの論点も2つめの論点も正しいということになってしまいますが、
この二つのこと(個人的には2つめの論点で充分ですが)の検証を突き進めてみられましたら、
priusさんの思索について、何か大きな発見があるかもしれません。
どんな結論に達されるのかは皆目見当が付きませんが、
それが素晴らしい発見に繋がると面白いですね(^-^)/!!

 ではではpriusさん、お騒がせ致しましたm(_ _)m。